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内部統制の観点から見たセクハラ問題 安田 正敏

2010年10月12日
セクハラ問題に対する認識は最近大きく変わりましたが、いまだに企業内の男女を巡る特異な事件であるという見方が強いように思います。しかし、内部統制という観点から見たとき、それはそのような行為を起こし易い企業環境が存在するという統制環境の問題であると思います。
前回(10月1日)のブログで紹介した記事が掲載されている週刊財政事情9月20日号に、全く異なる分野ですが、興味を引く記事を見つけました。テーマはセクハラについてです。「支店長室のウラオモテ」というコラムで現役の銀行支店長による甲と乙という名前での匿名対談です。

まず冒頭で甲氏が「パワハラやセクハラでクビになる支店長が減った」と切り出します。乙氏は「銀行のリテール業務は労働集約的だ。行員数が多いということは、それだけ人的災害が発生するリスクが高い」と、銀行の職場の状況を説明しています。甲氏は、「個人的にはパワハラよりセクハラのほうが悩ましい。(中略)。私が理不尽だと思っているのは、女性がまんざらではない様子で特定の男性との距離を縮めていた形跡があるにも係らず、あるとき、手のひらを返すかのように『支店長からセクハラをうけた』と訴えるケースだ」と、セクハラと社内恋愛の境界のあいまいさを嘆きます。

この会話から推し量ると、セクハラでクビになる銀行の支店長は依然皆無ではないということです。いかに労働集約的(しかも女性の数が多い)という銀行のリテールの現場の特徴があったとしても、銀行の支店長という組織の幹部の立場からは、「セクハラと社内恋愛の境界」云々という問題以前に、自らを律する必要があると思います。

日本の企業文化の中では、セクハラ問題はそれほど重要なコンプライアンス違反であるという認識が従来は薄かった傾向があります。しかし、日本企業が国際的に事業展開していく中で、この日本の企業文化が異なる価値観を持つ企業文化と接触したときこの問題がにわかに脚光を浴びる事件が起きました。そのひとつが、1996年に米国で起きたアメリカ三菱自動車を相手取ったセクハラ損害賠償事件です。その賠償金請求額は当時の日本円換算で200億円を越える日本企業にとっては想像を超える額でした。このケースは、1998年に和解が成立し当時の日本円換算で約49億円の和解金が支払われました。この10年後の2006年には北米トヨタ自動車の元社長秘書が同社社長にたいして起こしたセクハラ賠償事件が発生しました。この賠償金請求額も当時の日本円換算で200億円を越えるものでした。アメリカ三菱自動車の場合は、そのような環境に放置していた同社社長の責任をただしたのに対し、北米トヨタ自動車の場合は、社長そのもののセクハラ行為をただしたものでした。これらの事件をきっかけに日本企業におけるセクハラ問題に対する認識は大きく変わり、また被害者の対応も大きく変わってきました。

このようにセクハラ問題に対する認識は大きく変わりましたが、いまだに企業内の男女を巡る特異な事件であるという見方が強いように思います。しかし、内部統制という観点から見たとき、それはそのような行為を起こし易い企業環境が存在するという統制環境の問題であると思います。比喩的にいうと、内臓疾患ができものや食欲不振などの異なる症状を起こすように統制環境のみだれはセクハラやその他のコンプライアンス違反を起こす共通の原因となる可能性があるということです。そしてひいては企業業績にも影響を及ぼすことになるでしょう。

(文責:安田正敏)

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