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JR西日本だけの問題なのか? 安田 正敏

2009年11月20日
JR西日本のような経営体質(統制環境)がつくられたとき、企業内部の枠組みのなかだけで、絶対的な権力者にブレーキをかけることを期待することは無理があります。ここに、本当の意味で独立した社外の目が絶対的に必要になります。社外取締役あるいは社外監査役の議論はこの視点を抜きにしては語れません。「事業の内容の分からない社外の人間に取締役が務まるはずもない。」という議論は、この問題を矮小化した瑣末な議論といわざるを得ません。
西日本旅客鉄道株式会社(JR西日本)の福知山線事故に関する航空・鉄道事故調査委員会の調査過程において、事故調査委員に対して不適切な働きかけがありました。この事件に関して、事実関係究明と再発防止策提言のためつくられたコンプライアンス特別委員会(委員長:高巌、麗澤大学経済学部長)の最終報告書が、11月15日に公表されました。
付表を除く本文で81ページにもなるこの報告書の第9章「平成17年までのJR西日本の経営体質について」の内容は、日本の企業のコーポレートガバナンスを考えるうえで、非常に参考になる資料ではないでしょうか。(報告書はここから入手できます:http://www.westjr.co.jp/ICSFiles/afieldfile/2009/11/18/iinkai.pdf)

まず、この報告書は、JR西日本の経営体質が「本件事故の間接的要因の1つであったと思われる」(63ページ)と判断しています。その経営体質をつくった責任者として井出正敬氏を挙げています。井出氏は、1987年4月1日に同社の代表取締役副社長、1992年6月24日代表取締役社長、1997年4月1日代表取締役会長に就任したあと、2003年4月1日に取締役相談役に退いています。そして2005年4月25日に福知山線事故が起きた直後の6月23日にすべての役職を退任しています。

もともとJR西日本は、JR東日本、JR東海と比べると経営基盤が弱く、「どのように本社を立ち上げ、機能させるかということが、最初の重要な経営課題となった。」(64ページ)という状況でした。この課題を含め、「『親方日の丸』で、赤字を出し続けることは許されない」として、過去の問題に果敢に挑戦した井出氏の手腕は高く評価されていました(64ページ)。そして1995年1月17日の阪神淡路大震災後の対応でも「関西地区で賞賛の声が上がった」(これ以下の引用はすべて65ページ)と報告しています。

しかし、この報告書は、「こうした成功体験が、結果として、井出氏による経営を、益々、独善的なものに変えていくことになったと思われる。」と指摘しています。その結果、「陰で文句を言う者は『随分いた』が、社内では『井出氏に対する恐怖感のようなものがあった』ため本人に直接具申するような者(苦言を呈する者)はまずいなかったという。」状況になっていました。そして、井出氏は、取締役相談役に退いた後も、「本件事故が起こるまで、約20年間経営に影響力を行使続けることとなった。」と指摘しています。このような経営体質の下で、本件事故につながる様々な問題が蓄積されていったことが、詳しく報告されています。

ここで疑問なのは、これは果たして井出氏だけの責任に帰するべき問題なのかということです。この点について、報告書は「井出氏の独裁的経営について経営陣が作り出した問題(内生的なもの)であった。」と指摘しています。本来、取締役の主要な責任は取締役の業務執行を相互監視することであり、それがコーポレートガバナンスを支える柱です。この意味で、この指摘は的を得ていますが、これが実現できないからコーポレートガバナンスが機能しないという状況が現実です。つまり、このような状況でこの責任を全うできる人間(取締役)がいるかどうかということが大きな問題です。実績と力のある社長あるいは会長に対して本心から意見を具申した結果、旧国鉄時代を含め、大きな組織の中でひたすら努力し、辛抱してつかんだ取締役という地位を棒に振ることが目に見えている場合に、それが実行できる人間はほとんどいないのではないでしょうか。正直に言って、筆者もこのような状況に置かれた場合、そのような勇気ある行動が取れる自信はありません。

この問題は、JR西日本だけの問題ではありません。また、日本の企業だけの問題でもありません。洋の東西を問わず、コーポレートガバナンスの失敗、結果としての企業の破綻のほとんどは、この問題から起きています。したがって、内部統制のCOSOの枠組みの中でも、内部統制の基本要素として統制環境を重視しているわけです。しかし、JR西日本のような経営体質(統制環境)がつくられたとき、企業内部の枠組みのなかだけで、絶対的な権力者にブレーキをかけることを期待することは無理があります。ここに、本当の意味で独立した社外の目が絶対的に必要になります。社外取締役あるいは社外監査役の議論はこの視点を抜きにしては語れません。「事業の内容の分からない社外の人間に取締役が務まるはずもない。」という議論は、この問題を矮小化した瑣末な議論といわざるを得ません。

(文責:安田正敏)


コメント
不満の残る報告書 a commentator | 2009/11/20 11:20

私も報告書をざっとですが見ておりました。その結果、私が、というより監査役や一般経営者の多くもこの報告書を読んで真っ先に疑問に思ったであろう点は、社外取締役だけでなく、社外監査役が、本来、門外不出のはずの調査委員会リポートを手元に置きながら取締役たちが議論している=報告書によれば=のをみて何の疑問も持たず、なんの指摘もしなかったのかどうか、ということです。社外取締役や監査役がどう機能したか、については、不思議とこの報告書(3人の弁護士チーム)はほとんど触れておりません。その意味でこの報告書はガバナンスの分析としては不完全だと、個人的には思います。 
・・・ここからは余談:井出氏の独裁振りを企業文化に結び付けたため、分かりやすいネタに飛びつきたがるマスコミがその1点で記事化して話題になってしまった、ともいえるかもしれません。質の高い読者たちには不満の残る報告書だったのではないでしょうか。


社外取締役、社外監査役の責任は大きい 安田正敏 | 2009/11/20 13:37

コメント有難うございます。 
社外取締役、社外監査役は、お飾りであっては何の意味もありませんが、現実にはご指摘の状況のように、本当に彼らが責任を果たしているかどうかが問題ですね。

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