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内部統制と経済発展 後出 大

2009年11月14日
ヨーロッパの中世・近世の商業都市の社会構造を眺めてみると、幾つかの事例を比較対照することで、その経済的繁栄の秘密が垣間見られるようで興味深く感じられるケースがある。たとえばベネツィアとアムステルダム、この二つの都市を比較しようとすることは無茶な試みであるが、「内部統制」という観点からそれぞれの経済運営を俯瞰すると、現在の経済政策・企業経営のあり方にもなにがしかのヒントを与えてくれるようである。
ヨーロッパの中世・近世の商業都市の社会構造を眺めてみると、幾つかの事例を比較対照することで、その経済的繁栄の秘密が垣間見られるようで興味深く感じられるケースがある。例えば、ベネツィアとアムステルダムである。
 
前 者は、アドリア海の干潟に建設された小都市にもかかわらず、東ローマ帝国、神聖ローマ帝国、そしてオスマントルコといった周囲の大国に伍して約千年の独立 を安定的に維持し、特に、13~14世紀には一大経済強国としてその存在感を示した。一方、後者のアムステルダムは、スペインからの独立を達成したオラン ダの中核都市として、『レンブラントの世紀』として知られる17世紀には、隣接するフランス、イギリスを押しのけて経済覇権を築きあげたのである。
 
こ の二つの都市は、その絶頂期を見ればその時代背景も周囲の政治環境も全く異なっている。それを比較しようとすることは無茶な試みであるが、「内部統制」と いう観点からそれぞれの経済運営を俯瞰すると、現在の経済政策・企業経営のあり方にも何がしかのヒントを与えてくれるようである。
 
ベネツィアでは都市貴族階級の寡頭支配が行われたものの、その長であるドージェ(統領)といえども専制が許されない監視下にあった。都市としての最大の収益 源である香料貿易等のために組成される商船団の指揮権は貴族に限定されてはいたものの、それはあくまで入札により与えられ、超過利潤を特定の貴族に集中させない仕組みを備えていた。また、目的地、航路、出発時、積荷の運賃を事前に公示して、一般市民にも交易に参加できる機会を開き、海外植民地の役人が不当 に利益を簒奪することを防止するためにその商行為は厳しく禁止されていた。戦費徴収のための公債は資産額に応じて富裕層に強制的に割り当てられ、逆に、食糧危機に際しては安価な食料が国庫から放出される。ベネツィアの貴族は自らの社会的地位の安定を守るためであったとしても、いわば「社会的公正」をキー ワードに、一般市民の生活上の不満を抑える観点でその都市経営の統制を厳に徹底して、結果として、ほとんど内部動乱を見ることなく長期の繁栄を達成したの である。
 
一 方のアムステルダムを中心とするオランダの都市貴族の心意気は「自由な経済機会の追求」にあったように思われる。既得権益を守ろうとする北ドイツのハンザ 商人に対抗して、自由な航海を求めて彼らと戦ったことにその経済発展の基盤を見るが、その後も自由貿易追求の姿勢は徹底していた。利害が自国オランダにかかわる場合ですら、あくまで商売優先の姿勢を貫いた。アントウェルペンがスペイン軍に攻囲されているときに敵国スペインに武器を供給したことは有名な話で あるし、後にオランダが対仏・対英戦争を戦う際にも、利敵行為となる商業活動が行われていた事実が研究者によって示されている。彼らの規範は「無統制」で あったと言えば言いすぎであろうか。しかし、この地の商人たちの奔放さにはそれほどに規制を嫌う気風が感じられる。結果として、アムステルダムを中心とす るオランダ商人は巨万の富を築きあげ、周辺国に先駆けてその経済的覇権を確立した。但し、一世紀も経たないうちに、国策として重商主義を掲げたフランス・ イギリスの前に、戦争すら商機とみなしていたオランダ商人の覇気は次第に失われ、彼らはやがて不動産収入、金利収入に依存して暮すようになり、政治的腐敗 の中に沈んでいく。
 
ベ ネツィアとアムステルダム、時代は違えども両者ともに商人貴族が強力な指導力を発揮して経済的繁栄をもたらした。前者は統制社会の中にあって内政的に無風 に近い状態で千年生きながらえる。後者は、あくまで自由経済を追求し、その富を瞬く間に巨大化したが、やがて政治抗争と汚職にまみれて衰えていく。
 
現 在、世界中の多くの企業経営者が「内部統制」に頭を悩ましている。行き過ぎたアメリカ型企業経営に対して、エンロンやワールドコム事件で表面化した矛盾へ の反省として導入された新ルールということであろう。どの程度にその統制の手綱を締めるべきかについては、今しばらくの試行錯誤も必要であろう。しかし、 「自由奔放=成長社会」に対する「規制導入=安定社会」が改めて問われ直されている状況にあるとも理解できる。
 
ベ ネツィアとアムステルダムの事例のみをもって、「内部統制」の問題を論じれば、それは牽強付会というものであろう。それにもかかわらず、統制社会のベネ ツィアが経済的に長命であり、自由社会のオランダが経済的に短命であったことは示唆的である。もちろん、もし長命が望ましいとしても、誰の観点でそれは良 いことなのか、その軸をしっかり見定めることは必要であろう。一般市民レベルでみれば、ベネツィアには次第に歓楽街としての退廃的雰囲気にむしばまれてい く印象をうけるが、オランダの一般市民には自宅に絵画を飾って楽しむほどの充実した文化生活を送ったものも多くいたという。何が重要なのかについては様々 な価値観が伴い、その優劣比較は難しい。しかし、こと経済活動については、少なくても自由万能が長続きしないことは歴史的にも示されているようで興味深い。
 
(文責:後出 大)


コメント
企業は事業継続体 安田正敏 | 2009/11/15 17:59

大変興味深い歴史的観察ですね。ポイントは、企業は事業継続体(going concern)ということですね。コーポレートガバナンスの機能不全は、企業を存亡の危機に陥れます。

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