LIBOR不正事件と廉直さ(integrity) 大谷 清
2012年07月26日
LIBOR不正操作問題で指弾されている某グローバル金融グループの発表文に、思わずうなってしまった。「・・・社員の献身的な努力にもかかわらず、規制当局の期待にこたえられなかった・・・」。どう読んでも不正を認めたとしか受け取れないアナウンスだが、なぜかいささかも頭を下げている感じがしない。むしろ社員をいたわっている感じすら伝わってくるから妙だ。
発表文に言う「規制当局の期待」とはコンプライアンス、法令順守だろう。それに「答えられなかった」とは遵守できなかったということ、つまり違反を犯した、ということになる。そのコンプライアンス違反が「社員の献身的な努力にもかかわらず」起きた、とは、どういう「献身的な努力」だったのか。
考えられるのは二つ。何が何でもコンプライアンスを遵守しようという、まさに献身的な努力、もうひとつは会社のため(つまりは自分のため?)に何が何でも利益を上げて貢献しようとした努力。はたしてどちらをさしているのかは、この発表文ではあきらかではない。いやじつはどちらとも取れる表現こそ、このグローバル金融グループの狙いだったのかもしれない。近来まれに見る「名文」だ。
日本にも「名文」があった。福島第1原発の事故のあと、時の官房長官が放射線の影響などを問われて「直ちに人体に影響を及ぼす数値ではない」とのコメントを連発した。この言葉を政府事故調査委員会(いわゆる畑村委員会)が7月23日に発表した報告書の中で「人体への影響を心配する必要が無い、という意味にも、長期的には影響がある、という意味にも取れ、緊急時の広報のあり方としては避けるべきだった」と批判した。
しかし長期にどんな影響が出るかはチェルノブイリ原発事故の検証過程でも医学的に定まった知見が出ているわけではない。したがってその影響はまだわからないし、少なくとも短期では影響は発見できないわけだから、当の官房長官が弁護士出身であることも考えれば、こういう表現を使ったのもうなずける。疫学的、科学的にはここまでしか言えない、あとは国民各自が自分で判断して行動してほしい、という趣旨だったろう。
言葉遊び、という無かれ。グローバル金融グループや一国の政府ともなれば、その言葉一つ一つがもたらす影響は計り知れない。かつ後世まで公式記録として残り、研究者の研究材料となることも考えれば、表現の文言に知恵を凝らすのも当然だろう。高価な弁護士を雇いいれて極上のレトリックを編み出し、隙のない表現を考え抜いた結果が「社員の献身的な努力にもかかわらず・・・」という表現になったのではないか。
しかしその高価で涙ぐましい努力を一瞬にして無価値にするのは、良識ある人々の眼力である。たしかに工夫を凝らし、excusesをちりばめた表現は契約上のリスクを最小限にとどめる一定の役割を果たすかもしれない。しかしそれだけ逆に企業や政府に対するレピュテーションは下がる。グローバル金融グループのアナウンスメントを「小賢しい」と直感的に見抜く力を持つ民の眼を侮ってはいけない。
リスクを避けようと小細工を重ねれば重ねるほど、レピュテーション・リスクは高まる。「小賢しさは率直さ、廉直さ,integrityに及ばない」というのは単にローカルな日本的美徳にとどまず、グローバルな普遍性を持っている。
(文責:大谷 清)
コメント
社会的責任に対する自覚が欠けている 安田正敏 | 2012/07/26 15:20
いうまでもないが金融機関は信用創造と決済機能、電力会社は電力供給という社会インフラをになう重要な社会的責任を負っている。彼らの経営の失敗は遍く国民経済、大金融機関の場合は世界経済にまで深刻な影響をもたらす。しかし、彼らが対外的に発表する言葉からはその社会的責任に真摯に向きあっているという姿勢が伝わってこない。まさに大谷さんの言うとおり。
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