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経営者の保身と新聞ジャーナリズムの責任 門多 丈

2012年02月15日
最近の経済系新聞の報道は、短視眼的なものが多く、日常に流されている。状況の本質をとらえた深みのある報道を目指すべきである。
最近の日刊経済系新聞の記事には、短視眼的なものが多く報道の一貫性もない。状況の本質をとらえた深みのある報道を目指すべきであり、ジャーナリズムとして本来の責務である啓蒙の役割も果たすべきと思う。

今回の東京電力の電力料金の大幅な値上げ案は、日本企業の競争力を著しく損なうはずだ。いつも日本の空洞化の問題を声高に報道する某日刊経済系新聞が、電力料金の値上げの問題についてこの点では沈黙を保っているように見える。総括原価法のコスト計算の曖昧さや、この仕組みに守られた東京電力経営陣の怠慢が原子力発電の安全対策を怠った(2月1日付けブログ「危機をなぜ防げなかったのか」)ことも厳しく追及すべきではないか。

日本の深刻なデフレや「円高」の問題で、日銀の金融政策に関し「不作為」と厳しく批判する報道がある。今後の日本の貿易、経常収支構造(海外事業での所得を増やす必要がある)のあり方を考えると、円高/空洞化のみを問題とした議論は偏っている。「乾ききった雑巾はこれ以上絞れない」と言うが、今日の「円高」に備えて企業経営がしっかりした展望を持ち然るべき意思決定をしていたのかを、まずは厳しく問うべきであろう。将来の国債暴落リスクを論じる一方で、日銀に「デフレや円高回避のためには思いきった(何でもありの)金融緩和をすべき」と言う。日銀による国債の直接買い取りまで期待しかねない論調は、歴史の教訓からは学んでいない。過去のドイツなどでは金融政策の信認を失うことで、ハイパー・インフレや(長期金利の暴騰による)国債の暴落が起こったのである。

某日刊経済系新聞の朝刊のトップを飾った「日立三菱重工経営統合」の顛末も不可思議だ。この後両社が経営統合を否定し「事業統合」と発表した。両社のさまざまな関係者の反対で構想がトーンダウンしたと思われる。ビジネス環境の厳しさを考えると、このような経営統合は10年以上前に起こるべきものであった。経営統合への強い反対を受け、経営者が「冬眠状態」に入ったと思われても仕方がない。「すっぱ抜き」記事が結果として取引を壊したとすれば、三菱・第一銀行統合破綻の件を思いださせる。

オリンパス社のウッドフォード社長の取締役会解任の報道も知恵がない。オリンパス社の疑惑が月刊総合情報のF誌に頻繁に報道されていた背景がある。会社側の一方的な発表をまずは疑うべきではないか。米国のウォーターゲート事件を解明したワシントン・ポスト紙のウッドワード記者たちのセンスを学ぶべきだ。

報道の社会的なインパクトを考慮すると日立・三菱重工経営統合、オリンパス社社長解任についてのこのような報道姿勢について、新聞社は第三者委員会的な組織を設け報道倫理の観点から総括すべきである。

(文責:門多 丈)

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