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危機をなぜ防げなかったのか 門多 丈

2011年02月01日
危機を予見しながら経営のリーダーシップ欠如や組織の欠陥で、効果的に対応しないことが多くある。東電福島原発事故もその例である。危機回避や対応に組織が効果的に対応するように、監督・監視することもコーポレートガバナンスの役割である。
ハーバード・ビジネススクールのベイザーマン教授の共著「予測できた危機をなぜ防げなかったのか?」(東洋経済新報社)では、重大な危機を予測できたのにリーダーシップの欠如や不作為のために大惨事となった事例として、「9.11」と「エンロン破綻」を分析している。

「9.11」ではアルカイダが米国の国内攻撃を狙っている兆候があり、そのために飛行士訓練をしている情報などありながら十分な安全対策が取られなかった。コストや手間の増加を嫌う航空会社経営陣がゴア元副大統領などに強力なロビーイングを行い、国内線での手荷物検査制度を導入させず検査員の強化も図らなかった。「エンロン破綻」では会計士事務所が企業の会計監査を行うとともに、同じ企業のコンサル業務を行っていたことに利益相反の問題が潜在した。コンサル業務への収益依存が大きいことから、アーサーアンダーセンなどの大手会計士事務所が上院の銀行委員会などに働きかけSECによる規制(監査とコンサル業務の分離)を骨抜きにした。何れも企業経営の短期利益指向(将来起こりうる利益に然るべきコストを払わない)と利権に動かされる政治が大惨事を引き起こしたと結論する。

東電の福島原発事故を考えてみよう。まずは「想定外」であったかである。これについてはある科学者は「『想定外』というのは彼らの設計の目標外であったということで、今回の原発事故は、科学者から見たら当然考えられる範囲」と言っている。そもそも「危機想定」の議論を地震のマグニチュードや津波の高さに限るべきではないと思う。本書では「危機には個別ではなく、包括的に取り組むべき」と述べている。原発事故のリスクを「(複数の電源の停電による)長時間の停電による冷却機能の停止」と定義すると、危機は予測できていたと思う。政府主導の原子力安全委員会や東電の経営幹部が「長時間の冷却機能の停止は考慮不要」とした責任は大きい。

本書では政治や企業経営が危機回避に適切なリーダーシップをとらない幾つかのバイアスを挙げている。「非現実的な楽観論」「自己中心性」「将来の軽視」などである。このような不作為の「尻を叩く」のがガバナンスの役割であり責任と思う。また予見可能な危機に対し組織が効果的に対応できない原因として、本書は「情報の収集、共有、統合に必要な資源を投入しない」「責任の定義が曖昧で、誰も行動をとるインセンティブがない」を挙げる。これらの問題は東電福島原発事故でまさに我々が見た実態である。原子力災害対策本部などが議事録を作成しなかったことは、本書で指摘する「学習した教訓を、制度的な記憶に組み込まない」問題である。このような風土を是正し、内部統制の充実を監督・監視するのもガバナンスの責任と思う。

(文責:門多 丈)

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