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ガバナンスは必要か 門多 丈

2010年05月06日
ガバナンスとは社内外一体となって企業のあり方を考え検証する仕組みを作り、それを機能させることと考える。その点からは最近の日本の優良企業で起こった経営上の不祥事をガバナンスの観点から考えてみるのも有意義であろう。具体的にはトヨタの「リコール」、富士通の「社長解任」、キリン・サントリーの合併破断の問題である。
「なぜガバナンスは必要か」とよく聞かれる。特に企業価値の向上にガバナンスがどのように実効があるかと言う点についてである。私はこの問題設定自体が間違っていると思う。企業にとって殊更「なぜ良い経営者が必要か」と言う人はいないのではないか。それと同様にガバナンスはゴーイング・コンサーンとしての企業が、そのミッションを然るべく果たし事業を継続していくための必須の仕組みと考える。「企業統治」とう用語が適切かは疑問だ。外部から企業経営の暴走を抑えるために圧力をかけるとのイメージが強い。(英語のガバナンスの言葉自体もその響だが)。要は社内外一体となって企業のあり方を考え,検証する仕掛けを作り実行すること、と考えればよいのではないか。

トヨタの「リコール」問題への対応の失敗は、明らかに経営陣と取締役会の問題である。従来から日本の有力企業の中では、トヨタとキャノンが社外役員を置かないことで有名である。御手洗会長の「(キヤノンの)ものつくりの分からない人は、取締役になっても役割を果たせない」の言が象徴的である。ただ今回の事件は「ものつくり」の問題ではなかった。「消費者目線での経営」に欠けていたのであり、「ものつくりを知らない」社外取締役も入れるべきではなかったか、ということである。トップに耳の痛い情報はなかなか上がらなかったという組織上の問題もあった。そもそも章男社長の就任を「大政奉還」と評すること自体、メディアを含め、株式公開会社としての自覚が甘いということではないか。

富士通事件では社会は取締役会に対しては明確な「公開質問」を出している。取締役会の外で不明瞭に社長交代が「決定」されたからである。野副氏の「辞表」提出に対し3人の社外取締役は取締役会で本人の説明を求め、背景についても自らの権限と責任で調査すべきであった。背景として社内に路線対立があったとすれば改めて取締役会で議論し、現在の戦略の妥当性を検証すべきではないか。最高顧問の存在など、不透明な経営構造についても正すべきである。

キリン・サントリーの合併破談も不可解である。合併比率がネックになったとのことであるが、統合による事業などでのシナジー、ブランド戦略について議論はしっかりされたのであろうか。トップ同士の意気投合も合併のきっかけにはなるが、戦略と組織のすり合わせが合併成功の決め手だ。ガバナンスの観点では両社の取締役会で「どうしたら企業として生き残れるか」と言うような戦略議論が従来からされていたかに興味がある。M&Aには迅速さと即決即断が必要であるが、一方ではしっかりした構想が肝要である。その議論を取締役会でしっかり行う体制があるかを監視するのもガバナンスの重要な役割である。

(文責:門多 丈)

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