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金融危機と時価評価の功罪 安田 正敏

2010年03月16日
時価評価ルールは、資産の保有者が売りたいときに売れる十分な規模を持った市場が存在して初めて意味をもつルールです。単なる会計基準あるいは財務報告基準の観点からだけでなく、市場が不完全な場合、あるいは不完全になった場合に、そのルールがどのように変更されるべきか、ルールを一時的に停止すべきかなどの行政的ガイドラインと平行して運用されるべきではないでしょうか。
3月15日のウォールストリートジャーナルのオンライン版(WSJ.com)に、米国のFASB(財務会計基準審議会 the Financial Accounting Standards Board)が、数週間のうちに銀行に対して銀行の貸出債権(ローン)にも、時価評価(M2M、Mark-to-Market)を適用する方針を提示するという記事が掲載されました。この記事によると、J.P.モーガン・チェイス、バンク・オブ・アメリカ、シティグループ、ウェルスファーゴの4大銀行の貸出債権2兆8千億ドル(約250兆円)のローンがこの対象になります。これはこれらの銀行の全資産の40%に当たるということです。この提案はFASBの国際財務報告基準(IFRS)受入れの方向に沿ったものですが、このルールは現在まだ癒しきれていない金融危機を悪化させるものだとして、銀行業界は概ね抵抗しています。
このルールをFASBが採用する方向に動いているのはIFRSの受入れとは別に、銀行のバランスシートを健全なものにするための必要な措置だ、という議会の強い圧力もあったからだとされています。

このニュースに対して読者から33のコメントが寄せられていました(同一人物の複数のコメントを含む)。これだけのサンプルでどの意見が優勢だということはいえませんが、「時価評価は、『市場は回復するだろう』という楽観的な考えのもとに銀行が抱えている不良資産を正しく評価し、銀行が評価損を償却したり、不良債権を売却して健全なバランスシートを維持するのに必要なルールである」という意見よりも、このルールに否定的な意見の中にこの時価評価に係る様々な問題点を見ることが出来ました。

そのひとつは、時価評価ルールこそ今回の金融危機の元凶だという意見です。この時価評価ルールは、これまで株式や債券などの証券に対して適用されてきたのですが、2006年の春にサブプライム・ローンのブームにかげりが見えるまで、サブプライム・ローンを担保とした不動産抵当証券や、さらにそれらを組み込んだCDO(債務担保証券:Collateralized Debt Obligation)などの時価評価が、銀行やファンドなどの投資家の評価益を膨らませ、不動産関連証券だけでなく原油先物市場などにおいてもさらに投機的な投資を可能にし、バブルを膨らませる原動力になったという主張です。

また、2007年になって、この金融バブルが弾けると、この時価評価ルールは銀行やファンドなどの投資家のもっている不動産担保証券やCDOの価値をつるべ落としに低下させる原動力になったと主張しています。つまり、時価評価ルールは銀行の利益とバランスシートの変動性(ボラティリティ)を増大させ、金融システムを不安定にするものだという主張です。この主張は、米国の銀行が今回提案しようとしているローンに対する時価評価ルールに抵抗している主たる根拠といえるでしょう。

時価評価のもうひとつの問題は、市場価値が常に存在しているか、また存在していたとしてもその市場価値が常に正しいかという問題です。この問題も、この記事に関する意見として表明されていましたが、その実態を筆者が少し敷衍すると概ねこういうことです。サブプライム・ローンを担保とした不動産抵当証券を組み込んだCDO、特にその不動産証券に対して様々なレベルの保証を与えるCDS(クレジット・デフォルト・スワップ:Credit Default Swaps)を付与したシンセティックCDOなどの証券はほとんど市場で取引されたことがなく、実質的に市場価値を得るための市場がなかったという事実です。

したがってこれらの証券の評価は銀行独自のモデルによって評価されていましたが、そのモデルに入力するCDO関連のインデックスも急速に下落したことなどにより、これらの証券の評価価格も急速に低下しました。しかもこれらのモデル自体も不動産市場の債務不履行データが十分でないままつくられた経緯もあり、モデルの信頼性そのものにも疑問符が付されました。

要するに、サブプライム・ローンをベースとした証券化商品については、市場価値が存在せず、評価モデルによる評価も正しい価値を表していたかどうか分からなかったのが実態です。

このような例から分かるように、時価評価ルールは、資産の保有者が売りたいときに売れる十分な規模を持った市場が存在して初めて意味をもつルールです。現実には、このような市場は極めて限定されています。また、正常な状態でそのような市場であっても、市場にパニックが生じたときは、その市場は一挙に縮小することは歴史が証明しています。

時価評価ルールは、単なる会計基準あるいは財務報告基準の観点からだけでなく、市場が不完全な場合、あるいは不完全になった場合に、そのルールがどのように変更されるべきか、ルールを一時的に停止すべきか、などの行政的ガイドラインと平行して運用されるべきではないでしょうか。

(文責:安田正敏)

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