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オバマ大統領の金融新規制案と米国の金融システム 門多 丈

2010年02月01日
規制案の背景には、米国の巨大投資銀行が銀行持ち株会社に移行したことがある。今回の規制は過大なリスクテイクによるファンドや自己勘定での投資により将来に金融危機が再度到来することを政府が危惧したからである。米国の金融システムは回復していない。その中での今回の規制案は米国経済にとっては深刻な打撃となる。
今回発表された規制案の背景には、ゴールドマン・サックス(GS)やモルガン・スタンレー(MS)などの巨大投資銀行が、金融危機の中で銀行持ち株会社に移行したことがあることを理解すべきと思う。ベアスターンズやリーマンの破綻に見られたように、投資銀行破綻は資金繰りの危機であった。高レベルの収益を狙いヘッジ・ファンドやプライベート・エクィティ(PE)ファンドを巨額に保有し、膨大な自己勘定投資を行い証券化ビジネスにも積極的にコミットした投資銀行が、主要な資金調達源であったレポ(証券担保の借入)やコマーシャル・ペーパーでのファイナンスが金融危機やの信用不安の中で全く不可能となり破綻した。

その中でゴールドマン・サックスやモルガン・スタンレーは、公的資金を受け入れるとともに銀行持ち株会社に組織を変更した。銀行準備制度に加盟することで、緊急事態での資金ショートを回避する手段を獲得した訳である。銀行準備制度は本来預金で資金を調達し、融資を行う金融機関を支えるシステムであり、投資銀行がこの制度に加盟することには無理がある。結果としてファンドや自己勘定投資(資金的にはミスマッチ運用)などの所要資金について、国がラスト・リゾートを提供することになりうるからである。

最近の報道でも明らかであるが、生き残った少数のパワフルな銀行(GS,MS,JPモルガンなど)がこの間は証券引き受けや自己勘定取引で莫大な収益を上げている。米系投資銀行に勤める知人はこれを評して「米国の金融機関はグロテスク(な存在)になった」と言う。金融機関の健全性を重視するボルカー氏が今回の規制案を提唱したのは、銀行の過度のリスク・テイクにより金融危機が再度到来する事態を予防すべきと考えたからであろう。もう一度金融危機が起これば too big to fail を理由に、公的資金を注入したり救済策を講じることを国民は納得しないことを痛感しているからである。

米国は、今後金融システムをどのように再構築していくかの解答を未だ出していない。銀行については、信用創造にチャレンジするスピリットを経営者が取り戻しているとは思えない。
今後の金融機関のビジネスをどうすべきかを企業のミッションに戻っての議論(コーポレート・ガバナンスの重要なステップ)も行われているとは聞かない。今回の規制案での市場からの負債規制や自己勘定投資の制限には議論がありうる。自己勘定投資は顧客との資金や為替取引に付随することも多く、ALM(アセット・ライアビリティ・マネジメント)やリスク管理の重要な手段ともなっているからである。大手ノンバンクの破綻でリースや資産担保ファイナンスなどの中堅企業向けの金融も停滞している中で、銀行の「貸し渋り」は米国経済にとって極めてネガティブだ。

今回の規制案で銀行のPE投資を禁止することで、米国のリスク・マネーの流れも激変する。専門家によると米国のPEファンド募集では、その約18%を米国の銀行がコミット(投資の引き受け)をしていると推定される。銀行によるPEファンド投資が行われなくなり関連融資も不活発となると、米国の経済成長にも深刻な影を落とす。年金などの機関投資家や海外からの米国のPEファンドへの投資を活発化することを米国は真剣に検討すべきこととなろう。

(文責:門多 丈)


コメント
雑感ながら・・・ 阿知部 留平 | 2010/02/05 14:50

ボルカー証言について、元銀行屋としては語られている理念に違和感はありません。商業銀行のやるべき業務分野として列挙されている項目や自己勘定と顧客取引の利益相反等常識的です。今後のファンド市場需給にとっての問題は、規制対象とするファンドの定義(Functional definition)、しり抜け防止策、昨日の日経で伊藤教授がコメントしていたような融資規制の扱い、といった点でしょう。 

そもそもファンド資本主義が、デジタル・グローバル革命以前の企業資本主義の限界を超えて表れて来たものであれば、「真っ当な」ファンドが旧来の法人を凌ぐものである限り存在意義を持つはずです。「真っ当ではない」バブル的なファンドというイメージで、多分破綻したLTCMのような想定なのでしょうが、その具体的定義をどうするか。株式会社に出資したり融資したりするのと、会社型・信託型を問わず「真っ当な」ファンドに出資・融資することの違いは何か、産業資本の取る事業リスクと金融資本の取るべきリスクに対する見方の相違のような気もします。 

邦銀の株式持合い構造の変容にも関係しますが、決済システム・預金保険と銀行法令により制限されかつ資本市場からリスクキャピタルを得ている銀行の取るべきリスクとその程度が何か、という永遠の問題に帰着すると思われます。 
  
規制されるべき「真っ当ではないファンドとは何か」というのが定義の問題となるわけで、「真っ当ではない」株式会社もたくさんあるわけですから。預金者と株主の双方を納得させるリスクリターンをどうするかという問題でしょうか。株式会社向け融資が個々の銀行リスク管理に委ねられている現状を鑑みるに、ファンド向けも整合させるべきではないかと思います。ファンドのほうが機関銀行化しやすいというデメリットはあるかもしれませんが。本来、金融システム内で負担する保険料ですべての破綻コストを賄ってきたのであれば、金融業界独自のリスク方針で行けるわけです。税金投入に至るような事態になって政治問題化したのでしょう。 

融資規制については、自己資本比率規制や大口限度・機関銀行化防止策等がありますが、例えば、事業再生ファンドあるいはベンチャーファンドに投資の形で出せないならば、融資として保全を図るシニアデットの形で出せるのか、あるいは、そうしたファンドが出資する事業会社にメザニンや融資の形でコラボできるのか、どこまでが許されるのか、といったこと。ヘッジファンドや商品ファンドはどうか。またそうしたコラボがしり抜けとみなされるかということ。ファンドやLBO形態に融資するのをすべて禁止というのであれば、レバレッジの強みを失い株主資本主義上の大きな制約になるでしょう。 
  
株式持合いを禁止してかつ銀行が事業会社に資本参加するのを禁止するという方向であれば(多分自己資本の範囲内のリスクキャピタルテイクは許されるのでしょうが)、ファンドと銀行の間ではもっと厳しい規制となるのでしょう。そもそもBIS上リスクウエイトが100%を上回る対象となっていますが、メイン性を前提とした無限責任を想定したウエイトで違和感が残ります。  

銀行出資ファンドが早急に売却を迫られる場合に、「真っ当」の程度によって需給関係が変わるでしょうが、より機関投資家の役割が高まることになるわけで、その力量が問われることになるかもしれません。どんな順番でファンド処分をするのか、「真っ当でない」ものを早くはずしたいのではないでしょうか。 

とすると、果報は寝て待てか、早起きは三文の得か、難しいところです。


コメントありがとうございました 門多 丈 | 2010/02/06 20:58

阿知部 留平様; 

大変示唆に富むコメントをありがとうございました。米国の銀行ですが、商業銀行は短期金融に集中し株式には投資しない原則ですが 
そのなかで法人投資をしのぐファンド投資という戦略がでてくるべきでしょうか。(投資)銀行のファンド投資にはファンドの販売、プライムブローカー業務との抱き合わせ(利害相反)の問題が本来からあったと思います。

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