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「白鯨」とコーポレートガバナンス(1) 安田 正敏

2009年10月24日
「白鯨」とコーポレートガバナンスとどんな関係があるのだ、と思われるかもしれませんが、この物語は、コーポレートガバナンス問題の原型を示しています。
米国の巨大金融機関、巨大自動車会社の破綻を経験した今、米国のコーポレートガバナンスについて重大な疑問が投げかけられています。米国から輸入されたこの外来語は、日本においても企業経営に重要な影響を与えてきましたが、このような状況のなかで、この言葉の意味について、もう一度考えてみることはそれほど無駄なこととは思えません。これは、むしろ、他人に対して意見を述べるというよりは、筆者自らの考え方をもう一度整理しておくという意味で、大事な作業であると思います。

そもそも、この外来語が伝わる以前にも、日本の会社制度において、取締役の業務執行の監査という考え方は存在し、明治32年の旧商法に監査役を一人以上置くことが規定されています。業務の内容は、「会社の財産及び取締役の業務執行の監査」、「株主総会提出議案の調査・報告」でした。日本の監査役制度はその後様々な改変を経て、現在の会社法になったわけですが、法律で規定されたことと、それが実際に機能したかどうかはまた別の問題です。米国でも日本でも、 この問題は依然として解決されずに残っています。

この問題を考えていたとき、メルヴィルが書いた「白鯨」という小説を思い出しました。「白鯨」とコーポレートガバナンスとどんな関係があるのだ、と思われるかもしれませんが、この物語は、コーポレートガバナンス問題の原型を示しています。

メルヴィルが描いた19世紀の捕鯨船は、3年間の航海に必要なありとあらゆる物資を積み込みます。「白鯨」に登場する船、ピークォド号を持つ船主とその航海に必要な物資を賄うための資金を出資する出資者が、今でいう株主にあたります。「白鯨」に登場する経営者は、エイハブ船長です。その船長のもとで働く水夫たち乗組員が従業員にあたり、約30人ほどいます。ただ、今日の経営者、従業員と違うのは、船長も水夫たちも給料はもらえません。鯨をとって鯨油を絞り、その鯨油を売った利益の配当を受けることになっていました。もちろん船上での生活は積み込んだ物資によって満たされます。
さて、そのようにしてピークォド号は、ナンタケットを出航し、3年にわたる捕鯨の航海に出かけます。この3年という時間、株主たちは、すべてをエイハブ船長に託します。つまり、3年間1回も株主総会は開かれず、株主たちは、運が良ければ、たまたま海の上でピークォド号と出会った船がナンタケットに戻って来た時、その様子を聞くことが出来るだけです。

さらに、ピークォド号の問題は、株主、水夫とエイハブ船長との間で航海の目的が全く違っていたことです。株主、水夫の目的は出来るだけたくさんの鯨を捕り、積んである樽すべてに鯨油を満たすことでした。しかし、エイハブ船長の航海の目的は全く違うところにありました。彼の航海の主たる目的は、彼の足を一本奪った憎きモゥビ・ディクという白く凶暴な抹香鯨をしとめることでした。もちろん海の上では、船長は、絶対権力者です。株主、水夫という利害関係者の利害は、この状況の下では全く顧みられません。
ここで注目したいのは、このような状況でもわずかなガバナンスは機能していたことでした。上級水夫の一人、スターバックは、船底に樽に詰めた鯨油が漏れているのを発見し、その問題解決のため、エイハブ船長に帆を降ろし、船を停止することを求めます。できるだけ早くモゥビ・ディクを発見したいエイハブ船長は、スターバックの申し出を一喝して拒否します。ここで、スターバックは、頑張ります。少し、長くなりますが、コーポレートガバナンスの原型と思える部分を引用します。(内)は筆者注。

(スターバック)「船長。私がいっているのは、船倉の油です」
(エイハブ船長)「わしは、そんなもののこたあ、はじめから、口にもせず考
えもせん。ゆけ!漏らしとけ。(以下略)」
(スターバック)「船長。船主たちはどういうでしょうか」
(エイハブ船長)「船首らはナンタケットの岸で、台風が顔負けするほど吼え
とればええ。エイハブの知ったことではないわ。(中略)
すべての持主とはその指揮者なのだ。(以下略)」 
(エイハブ船長)「ただひとり神のみが地上を主宰したもう、ただ一人
の船長がピークォド号を主宰する。―出てうせろ。」

銃によって脅かされながらも、スターバックはエイハブ船長の自省を促す言葉で、何とかエイハブ船長の意見を変えさせます。

(スターバック)「(前略)しかしエイハブさんはエイハブさんを警戒して
ください。御老人、自分を恐れなさい」
(エイハブ船長)「何といいおったか―エイハブさんはエイハブさんを警戒せ
よか―ちょっとしたことをいったぞ!」
(中略)「お前はあまりに善良じゃ、スターバックよ」
といって、乗組員に船の停止を命じたのです。

(引用は「白鯨(下)」メルヴィル作、阿部知二訳 岩波文庫 122~123ページ)

しかし、その後の航海でエイハブ船長がモゥビ・ディクを発見したあとは、誰もエイハブ船長の暴走を止めることが出来ず、ピークォド号、エイハブ船長、水夫たち乗組員、鯨油の樽すべてが、モゥビ・ディクのために海の藻屑と消えてしまいます。

私たちが、米国の巨大銀行の経営の失敗を、この白鯨の物語と比べて見れば、ほとんど同じ失敗を繰り返したという事実に愕然とします。しかも、スターバックのような「善良な」役割を期待されている社外取締役が取締役会の過半数をしめていながら、株主総会という株主の監視装置を持ちながら(現代の株主は、ナンタケットの岸で台風に向かって吼えるしか術のなかったピークォド号の船主と比べなんと恵まれていることか!)、結果はほとんど同じ破綻であったのです。
(つづく)

(文責:安田正敏)


コメント
無題 田野好彦 | 2009/11/14 14:41

白鯨を題材にコーポレートガバナンスを考えるとは、面白いですね。しかし、株式会社の原型が船を仕立てて香料貿易を行う東インド会社にあることを思えば、適切なアナロジーです。 
興味をそそられたのは、従業員に当たる船員たちが、収益の分配に与る仕組になっていた点です。現在の株式会社に読み直してみれば、持株会とかストックオプションに該当するのでしょうか。 
おそらく船長が、船員の貢献比率に応じて分配比率をコントロールできる仕組も付随していて、リーダーシップの源泉として活用していたのでしょうね。 
もし、ピークフォド号に監査役に相当する人が乗っていたら、エイハブ船長に殺されていたのかな、などと想像の世界は広がります。 
安田さん>続編を期待しています。

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