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戦争調査会 幻の政府文書を読み解く/井上寿一著:講談社現代新書 書籍レビュー

2018年02月13日
戦争調査会は第2次大戦終戦直後に、極東裁判とは別に日本人自身で「戦争の原因」を追究しようとの試みで開かれた。その中では日本が戦争を回避できる機会があったこと、負けることをうすうす分っていながら戦争に入ったこと、などの興味深い証言が記録されている。
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戦争調査会は第2次大戦終戦直後に幣原内閣の主導で開かれた。極東裁判とは別に日本人自身で「戦争の原因」を追究しようとの試みであった。調査会は極東裁判や終戦処理の4ヶ国理事会に配慮するマッカーサーGHQの意向で1946年9月末に廃止され、調査は未完に終わった。(戦犯以外の)多くの政治、外交、軍事、産業関係者の証言を得たが、その中では負けることがうすうす分っていながら戦争に入った、日本が戦争を回避できる機会があったとの興味深い証言が記録されている。

 歴史に " if " はあり得ないが、戦争回避のためには満州事変の不拡大、リットン調査後の国際連盟との関係維持、南部仏印進駐策の不採用などが日本政府の選択として現実にあった。独ソ戦争開始(1941年6月)が米国の対日強硬策を取った背景にあった(ドイツが日本を助ける余裕がないとの読みで)との証言も出てくる。

 「調査会」が真の意味で戦争の総括の場であったかは疑問だ。まずは「戦争がなぜ起こったのか」と「なぜ負けたか」の議論が混在している。戦争の最大の問題は統帥権の名のもとに暴走した軍部にあった。政財界人は軍部のテロを恐れ沈黙した。二・二六事件や終戦時に見られるように軍部は天皇であれ意に沿わないものを廃する考えも持っていた。調査会は政治、外交、軍事、産業の有力者からの証言の聴取が中心であり、うすうす負けると感じていた戦争に国民を巻き込み、その結果での塗炭の苦しみを強いた責任について明らかになっていない。原爆や国内空襲などの大惨事になる前に停戦にする術がなかったかなど、将来に向けて総括する場にもなっていない。

(文責:門多 丈)

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