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コーポレートガバナンスにおける法と良心の問題 安田 正敏

2013年04月16日
5月16日(木)に開催する当研究会の第38回勉強会の講師として招く作家・哲学者の佐々木中(ささき あたる)氏に投げかける問題意識です。これを出発点としてガバナンスについて広く考察を巡らせて頂きます。
5月16日(木)に開催する当研究会の第38回勉強会は作家・哲学者の佐々木中(ささき あたる)氏を招いて広い意味でのガバナンスについて哲学的な視点から論じて頂くことになっています。この勉強会に当たってはまずこちらから問題意識を投げかけそれに対する答えを出発点としてガバナンスについて広く考察を巡らせて頂きます。ここでは勉強会の案内書で簡単に触れた問題意識についてもう少し敷衍して述べることにします。


資本主義の奥深い底にマグマのように煮滾るものは人間の欲です。これは経済という人間の営みに欠かせないエネルギーであると同時にあるときは人間社会を破滅の危機にさらす制御不能のエネルギー源ともなります。その意味でこの人間の欲は原子力エネルギーと似ています。株主の欲、経営者の欲、従業員の欲、取引先の欲、債権者の欲が押し合いへしあいしているのが資本主義の根幹である会社という組織です。この欲というエネルギーの制御棒として会社の中で機能すべきものがコーポレートガバナンスです。それは民法、会社法、取引所規則、会社の諸規程等を含む広い意味での法によって制御されることを建前としています。


ここで佐々木氏の著書、「切り取れ、あの祈る手を」の中にある一つの文章が浮かんできます。71ページです。「法をどう運用するか、その時の基準になるものは何か、という問いにルターは『良心』と答えるのです」いうこの文章はコーポレートガバナンスを考える上で重要な意味を持ちます。コーポレートガバナンスが拠り所とする広い意味での法を運用する基準が「良心」であるならば、その「良心」は人間の欲という制御しがたいものを制御するための中核となるものではないかと。


しかし、ここでもう一つの難題が持ち上がります。「良心とは何か?」という問題です。これはその社会にある常識や行動規範、またそれを醸し出す宗教的な(敢えて宗教とはいいません)倫理あるいはエートスと呼ばれるものに関係しているのかもしれません。そこでマックス・ウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」が思い起こされます。日本の社会にある儒教的な倫理もまたある意味でコーポレートガバナンスのあり方を潜在的に形づくっているのかもしれません。


しかし現代の資本主義の精神はどうでしょう。グローバライゼーションという国境を越えた資本主義はそのような良心あるいは宗教的倫理から離脱し、グロ-バルに存在する人間の欲がむき出しになった資本主義へ変貌したように見えます。


それゆえに、現在、コーポレートガバナンスを議論する時、民法、会社法、取引所規則、会社の諸規程等を含む広い意味での法つまり建前ついての議論が中心になっているように思いますが、肝心の法の運用のよりどころとなる「良心」はどのように考えればよいのでしょうか。マックス・ウェーバーの論じた資本主義の精神はどのようにしてグローバルな現代資本主義の感染性欲望へと変貌したのでしょうか?


最後に2002年7月16日の米国上院の銀行委員会の証言で、当時の米国連銀議長であったアラン・グリーンスパン氏の言葉を引用します。これはエンロン事件のすぐ後のことです。


「感染性の欲望がわが国の経済界を覆っているように見えます。・・・人間が過去の世代にも増して欲深くなったというよりは、欲望の吐け口が途方もなく大きくなってしまったということです。」


(文責:安田)



コメント

感染性の欲望 大塚裕明 | 2013/04/26 14:51


グローバル化した資本主義に於いてコーポレートガバナンスを支える常識や行動規範を何処に求めるのかという命題に大変興味があります。

安田さんのおっしゃる様に、人間の欲をこれまで何とか制御していた「良心」は、昨今のグローバル化の中で実践的な行動規範としての威力を失った様に見えます。
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人間の歴史はグローバル化の歴史と言っても過言では無いように思います。有史以前の人類の大移動、数々の巨大帝国の興亡、十字軍、大航海時代、産業革命等々の歴史イベントは、漏れなくその一要素としてグローバル化の側面を持っていました。グローバル化は、その言葉自体や定義が生まれるずっと以前から、人類の歩みと共にある定常的現象だったのです。

グローバル化はその契機や規模に関係なく多かれ少なかれローカルな秩序と衝突しそれを崩しながら進んでいく宿命を負っている様に見えます。異なる風俗・習慣を普遍的に覆う新たな秩序が求められ、創造された新秩序が受け入れられ効能を発揮する過程で、旧秩序は力を失い廃れて行きました。

ここで注目すべきは、グローバル化は古い秩序を壊すだけでなく、新しい秩序を生み出して来たという点です。旧秩序から新秩序への交代劇は、必ずしも平穏なプロセスばかりではありませんでしたが、旧秩序の崩壊=無秩序ではありませんでした。
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1990年代から現在に至るグローバル化は、冷戦の崩壊を契機としITC技術の発展を背景に、人類の経験をはるかに超えた規模と領域、スピードで進みました。この20年の歩みは過去のグローバル化と何が違うのか。新たな秩序・常識・倫理を希求する営みは今も続けられている筈なのに、苦戦している理由はどこにあるのか。このグローバル化が押し広めた指導理念の一つである新自由主義(ネオリベラリズム)の限界なのか。そもそも、国家、民俗、言語、宗教といった受け皿を持たない秩序形成の難しさが問題の核心であるとすれば、縁起でもありませんが、グローバル化自体が内包していた自己崩壊シナリオの起動装置が動きだしたのかもしれません。
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安田さんが「感染性の欲望」に言及されたのは、約2年ぶり2回目だと記憶しています。10年以上前にグリーンスパン氏が残したこの呪詛に対する処方箋は未だ見つかっていません。



寛容と哲学的品性 門 | 2013/04/30 17:12

大塚様;投稿をありがとうございました。
議論が深まり嬉しいです。私は現在「薔薇の名前」のウンベルト・エーコの「歴史が後ずさりするとき」(岩波書店)を読んでいます。十字軍やイスラムとの対立の歴史や現在にも触れ、フェアに前向きに対処すべきと説いていると思います。(猪瀬知事にも予め読んでおいてもらいたかったです!?)その中で、著者は(異文化に対するものを含めて)「寛容」という概念にはそれなりに歴史と哲学的品格があると言っています。欲に取りつかれると寛容が無くなることへの警告でもありますね。



大塚様コメント有難うございます 安田正敏 | 2013/05/01 14:01

ブログへの興味深いコメント有難うございます。グローバル化という言葉の歴史的な意味について教えられました。
ところで資本主義という言葉については最近政府の経済財政諮問会議で原丈人(はら じょうじ)という人が「日本型資本主義」となえておりその人の助言で「日本型資本主義」を考える専門調査委員会をつくるという報道を見ました。

この場合、投資家の資金を集めて事業を進めるということが資本主義の原則である以上、何々型資本主義といってもこの原則は免れません。現在のグローバル資本主義といわれるものはこの投資した資金にどれだけの見返りがあるかという評価の仕方について市場効率を前提とした現代ファイナンス理論とセットになっています。「日本型資本主義」ということで何を言おうとしているのかよく分かりませんが、「日本型資本主義」を語るについてはそれに係る新しいファイナンス理論とセットで議論しないと意味がないように思えます。この点はもう少し考えてブログに書く予定です。



日本型資本主義 大塚裕明 | 2013/05/01 14:03


「日本型資本主義」といえば、これまでは「日本型経営」とセットまたは同義で、終身雇用、Keiretsu、物言わぬ株主、護送船団方式等々を総称する言葉だったように思います。
評価はと言えば、奇跡の高度成長を支えたと持て囃されたり、グローバル化を阻む非関税障壁と非難されたり、論者によって様々でしたが、今回の諮問会議はどういった思惑でこの言葉(と原氏)を担ぎ出したのでしょうか?原さんは「会社が株主だけでなく従業員、顧客、地域社会に貢献することで企業価値を向上し、中長期投資で技術革新や新産業を生む」といった主張をされています。「市場原理主義とは一線を画す」と言いたいのでしょうが、どういった仕組みでそれを実現するのかという点は、明確ではありません。「上場企業は公器であって、経営者や取締役会は株主だけではなく、従業員、顧客、取引先、地域社会、地球環境などすべてのステークホルダーに対して責任があると法律に銘記(する)」「株を長期保有している人に対する配当を高くする」「株取引に掛かる税金を、たとえば五年までは20%、五年から七年までは10%、七年以降はゼロ%とすればいい」「上場会社において議決権行使を長期保有株主に限る制度をつくる」等々といった主張もされている様ですが、原理としても、また技術面からも荒削りに過ぎる様に思います。
プロパガンダとして一定の効果はあると思いますし、一部の「心ある」投資家からは歓迎される議論だと思いますが、結局のところはグレシャムの法則を免れることが出来ないのではと感ずる次第です。


一つ、付け加えるとすれば、原さんは、公益や福祉に近いところで技術革新と人々の情熱・意欲を結集する様な事業seedsを提案・実践し続けているベンチャーキャピタリスト・起業家なんだと思います。これを資本主義自体の新しい潮流・発展として受け止めることは既述の様に難しいとしても、「良心」を失い拝金主義に堕したかに見えるグローバル資本(主義)に対する警鐘にならないか。そこまでは無理としても、一服の清涼剤としてこんな素晴らしい取り組みもあるんだという事例にしていくこと。それをアベノミクスと共に世界に発信し、より大きなスケールで展開していくことが出来れば、Japan Passingにちょっとだけ歯止めがかかるかもしれない。その様に捉え、期待して見守りたいと思います。



原氏の取り組みについて 安田正敏 | 2013/05/01 14:13

大塚様、原氏の取り組みについてご教示頂き有難うございます。
おっしゃられるように素晴らしい取り組みであると思います。資本の論理と公益・福祉という必ずしも効率性を追求しない営みがどう折り合いをつけられるか難しい問題ですね。じっくりと考えてみます。




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